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示現流について:示現流の歴史

示現流の由来

示現流は、もと天真正自顕流と称し、十瀬与三左衛門尉長宗が飯篠若狭守盛信に天真正伝神道流を学んだ後、さらなる妙理を求めて香取神宮に参籠し、鋭意工夫の末、極意十二打の神授を賜りて号したものです。十瀬長宗の弟子に金子新九郎威貞、その弟子に赤坂弥九郎政雅がおり、赤坂弥九郎は父の仇討ちを成した後、出家して善吉と号して曹洞宗万松山天寧寺の四世住持となりました。この善吉和尚に師事したのが、示現流の流祖東郷重位です。

天正十五年(1587)七月、島津義久公に従い上洛した重位は、天寧寺において善吉和尚と出会い、弟子入りして半年余、独り研鑽を積み、薩摩に並ぶ者無き剣の達人となったのです。
そして、慶長九年(1604)には、第十八代島津家久公の命により、タイ捨流師範東新之丞と立ち会い、これを打ち破って家久公に認めらるところとなりました。家久公は重位を厚遇し、重位の兵法が薩摩の地に末永く栄えんことを欲して、他国へ漏らさぬよう、流儀を絶やさぬよう常々語られたと言われています。また家久公は、重位と親交の有った臨済宗大竜寺の名僧、南浦文之に命じて、新しい流儀の名を考案させ、『観世音菩薩普門品』の経文にある「示現神通力」の句に因んで、天真正自顕流を「示現流」と改称、ここに薩摩独自の兵法が誕生することになりました。
示現流は、その後も代々の藩主に重く用いられ、殊に第二十七代島津斉興公により「御流儀示現流兵法」と称することを命じられ、示現流は、薩摩の士風形成に大きな役割を果たしました。

流祖・東郷重位の人となり

東郷重位は、永禄四年(1561)父重為の三男として鹿児島で生まれました。はじめ瀬戸口藤兵衛と言い、薩摩藩における初期の金工師で、天正十五年(1587)の上洛も京都後藤家の門人となって蒔絵や金細工の技術を学ぶためでした。しかし善吉和尚との出会いにより、兵法の道に精進することになったのです。
重位は、背丈鴨居に余る立派な体格で、十三歳の時には狼藉者を短刀で一突きにするほどの剛勇の持ち主であり、天正六年(1578)の日向の国耳川の合戦では、豊後の大友氏の軍勢と戦い、初陣ながら軍功を挙げています。またこの年重位はタイ捨流の免許皆伝を受け、善吉と出会う以前にタイ捨流の修行を積んでいました。

重位は、その生涯に四十余度の立ち会いを経験し、十余人を上意により討ち取りましたが、一度も破れることはなく、元和八年(1622)、江戸において柳生流の剣士福町七郎左衛門、寺田勝助を破り、両人はすぐさま重位の門に入りました。また、藩主の命で橋口小藤太を上意打ちにした時は、すでに六十歳を過ぎていました。重位は芸事にも多才で、自作の鍔や蒔絵の椀を残したりしており、阿蘇玄与に師事して和歌を習いました。
また、重位は多くの門人を育てましたが、人を敬う性格で決して礼を失することなく、稽古を終えると幼少の弟子であっても必ず玄関まで見送ったといわれています。
亡くなったのは、寛永二十年(1643)六月二十七日、八十三歳という稀にみる長寿を全うしました。

■示現流・東郷重位と他流派の師範の時代関係

 

明治維新と戦後の示現流

明治維新と維新後の廃刀令はそれまでの武士を中心とする世の中を変え、さらに明治十年の西南の役により鹿児島の士族社会は苦難の時代を迎えることになりました。一方、近代剣道の隆盛とは裏腹に多くの剣術流儀が滅びていきました。
しかし、示現流は、第九代東郷重矯、第十代重毅とその門人達の努力によって受け継がれてきました。
かつて示現流は門外不出の兵法であり、一般人の入門、見学は勿論、東郷家の婦女子すら見ることはできず、門を閉じ、裏口には鈴を付けて稽古をしていました。ところが、昭和に入って日本中が国粋主義に傾いてくると、再び示現流の実践的威力に期待が集まるようになりました。武士道精神を鼓吹し、心身の鍛練と実戦に活用するため、示現流を公開して普及すべしとの論議が高まってきたのです。
示現流も当時の時代背景から門戸を開放しましたが、結局昭和二十年の敗戦を迎えることになりました。
終戦の時、東郷家も罹災しました。また門弟の多くが戦死し、さらに占領軍による武道禁止令の追い打ちを受けて昭和二十六年までは稽古の時掛け声もかけられぬ有様でした。
戦死を免れた第十一代東郷重政と残された門人達は、戦後の混乱にあって示現流の精神を継承し同好の士を集めて無償で育成しました。
さらに平成六年、逝去した重政から第十二代重徳へ示現流宗家が引き継がれました。
重徳は、東郷家古文書(鹿児島県指定文化財)の公開と青少年などの育成などを目的とした公益財団法人、示現流東郷財団を設立しました。
平成二十六年、重徳から第十三代東郷重賢に宗家襲名され、現在に受け継がれています。

 

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